町や建物のこと

2018年、縁あって、歴史あるまちの一角にたたずむ古民家を譲り受け、居を構えました。
建物を引き継いだ者の責任として、この家や地域にしっかり馴染み、また次の世代につなげていくことができれば、と考えています。

建部町のこと
「行こか岡山 もどろか津山 ここが思案の深渡し」
"深渡し" は、旧建部町の役場があった「福渡(ふくわたり)」の名の由来で、この歌のように、建部は岡山と津山のほぼ中間に位置します。

「建部」という地名は、日本書紀に登場する「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の名に通じる「武部(たけるべ)」に由来するといわれており、旭川右岸の、私達の工房があるあたりは、大和朝廷の時代から "建部郷" と呼ばれていたようです。
建部から福渡一帯は、国郡里制度により、岡山県東南部に置かれた "備前国" に属すことになりますが、8世紀初めに、備前国から "美作国" が分立されたため、備前国(旧建部町)と美作国(旧福渡町)に分かれます。
この後、備前国の北辺にあたる建部は、美作国との国境の町として重要な役割を担い、江戸時代には建部は備前藩の知行地として、福渡は幕府の天領として栄えます。

時を経て、1967年に旧建部町と旧福渡町が合併して御津郡建部町となりましたが、当時は "国" をまたいだ合併として話題になったようです。
さらに2007年に、"平成の大合併" により岡山市と合併し、現在は「岡山市北区」に属しています(皆さん驚かれますが、岡山駅や岡山市役所を含む岡山市街中心部も同じ北区です)。
建部新町のこと
1632年(寛永9年)、備前藩主・池田光政の命により、国境の防備として建部に陣屋が設けられ、1650年(慶安3年)には家老の建部池田家によって、侍屋敷とそれに隣接する商人町からなる陣屋町がつくられました。
土地を与え、税を優遇することで各地の商人を集め、岡山城下をモデルにつくられた商人町が『建部新町』です。
建部は当時の物流を支えていた高瀬舟の中継地となっており、また、陣屋町は備前と美作を結ぶ "津山往来" に沿ってつくられたため、建部新町には造り酒屋や呉服屋、米問屋、醬油屋、油屋など、最盛期には100軒ほどの商家が立ち並び、かなりの賑わいを見せていたようです。
一方で、敵の侵攻に備えたクランク状の道路や、維新の際に土手に大砲の土台が設置された桜川には 、"台橋" という橋の名前が今も残っており、ここが防備の町であったことを物語っています。
明治4年に廃藩置県で陣屋が廃止されると、侍屋敷は田畑に戻り、商人町が残されましたが、高瀬舟の衰退もあり、商家も次第に減っていきました。
さらに、昔から度重なってきた旭川の洪水への対策として、1970年代に行われた大規模な河川改修による立ち退きもあり、現在は、昔の面影を残す建物は数軒のみとなっています。
私達の工房はそのうちの1軒です。
最近、建部新町の通りが、グーグルマップのストリートビューで見ることができるようになりました。
工房の住所で検索して頂くと、通りの様子がご覧いただけます。
家のこと
私達の住居兼工房は、建部新町の一角にあり、1970年頃まで醬油醸造業を営んでいた商家です。
母屋の土間には今も、仕込んだ醤油を絞る "フネ" や、醤油を溜めていた大きな木桶などが残っています。
家は明治20年頃に建てられたとされていますが、「元は侍屋敷の方にあった家を曳いてきた」ともお聞きしており、正確な築年数は分かりません。仮に明治20年(1887年)だとすれば今年(2023年)で136年になります。
家に向かって右側には大きな門がありますが、これは、かつての陣屋町で侍屋敷と商人町を隔てていた "大手門" を移築したものです(移築の経緯は不明だそうです)。
私達が譲り受けた当初、母屋と、母屋に連なって増築された新座敷、倉(米倉・道具倉)、および大手門が残されていました。
以前は母屋の裏に、醤油醸造場や住み込みの従業員のための建屋があったそうですが、20~30年前に老朽化のため取り壊されたとのことです。
私達が居住するにあたり、屋根や壁などの修理のほか、一部を作業場に使うためのリフォーム、自動車乗り入れのための土塀の撤去を行いましたが、できるだけ元の雰囲気を残すように心がけました。
現在、倉は機械や手道具での加工場、新座敷を塗り場と作品保管スペース、土間の一部を展示・打合せスペースとし、他は生活に使っています。
玄関の、"まくり上げ大戸"、2階に荷物を上げるための巻上機("釈迦車") のほか、昔の家具等も残っており、私達にとっては住居であると同時に、たいへん興味深い空間でもあります。
たけべでの暮らし
目の前には旭川が流れ、土手には桜並木。背後に連なる山々は新緑から紅葉、落葉まで季節を感じさせてくれます。
静かに広がる田んぼや畑、その間を流れる用水路には小魚が泳ぎます。
歩いて2,3分の桜川には、その名のごとく桜が咲き乱れ、初夏にはホタルが飛び交います。
春は「たけべの森」の桜まつり。約1万5千本の桜の木があるそうです。
夏の終わりは花火大会。自転車を5分ほど走らせて「建部親水公園」へ。打ち上げ数は大きな花火大会にはかないませんが、濃密です。
実りの秋には建部祭り(正式には「備前建部郷御神幸祭」というそうです)。御神輿や神楽(獅子舞)が通りを練り歩き、各地区の神輿が七社八幡宮に宮入して神楽の奉納。クライマックスの "高々"は、迫力満点です。
冬は少々寒いですが、車で5分も走れば「八幡温泉」が。時には雪景色を楽しみながら春の訪れを待ちます。
本数は少ないですが、JR建部駅までゆっくり歩いて約8分。岡山駅までおよそ40分、のんびりと。
コンビニ、スーパー、ドラッグストア、ホームセンターは車で5分。私達の日常生活での買い物には全く不自由しません。
鳥に果物や野菜を突っつかれたり、縁の下にアナグマに住み着かれたりと、ちょっと困ることもありますが、そこはたけべに暮らすもの同士、うまくやっていくしかありません。
賑やかなショッピングモールやファストフード店はありませんが、広い空やホタルの舞う川、きれいな星空に代わるものはありません。
是非、たけべに脚を運んでみてください。

 

【参考資料】
「建部町史(民俗編)」,平成4年,建部町
「建部町史(地区誌・史料編)」,平成3年,建部町
「建部」,1995年,山陽新聞社