気のせいか、今年はツバメの数が多いように感じます。
厚い雨雲に覆われた空の下、互いに鳴き声を交わしながら、勢いよくとび回っている姿をよく目にします。
田植えの終わった田んぼでは、灰色サギが水面に目をこらしながら、まさに“抜き足差し足”といった風情でゆったりと歩いています。
工房の脇の庭では今年も桔梗の花が開きました。
ある朝のこと、作業前に庭の様子を見回っていると、今にも開きそうなつぼみを見付けました。紙風船のような“まあるい”つぼみは今にもはじけそうで、中の様子を想像すると、なんだか年甲斐もなくワクワクします。
いつもは開ききってしまったあとに気が付き、開く様子を注意深く見たことがなかったので、そっと手で開いてみたい衝動を抑えつつ、今回はマメに観察してみることにしました(もちろん、作業の合間に…)。
昼前になると、つぼみの先端から放射状にひかれた五本の線に割れ目が入っており、中の様子をのぞき見ることが出来ました。
つぼみの中央に位置する“雌しべ”は何かのモニュメントのようで、厳かな感じがします。その一方で、花びらで柔らかく包み込まれたその外観からは、甘い上品なパイ生地の洋菓子を連想してしまいます。
お弁当を食べて、少しゆっくりしてから再び覗いてみると、花は既に開ききってしまった後でした。何の拍子にどのように開くのか、その瞬間は今回も観ることは出来ませんでしたが、初めて外気に触れた桔梗の“青”は、“みずみずしい”の一言に尽きます。
毎年決まった時期に芽を出し、そして花を咲かせるその健気な姿を眺めていると、小さな花一つにも自然の営みの偉大さを感じずにはいられません。めまぐるしく変化する私達の日々の暮らしの中で、時にはそんなものに目を向ける心のゆとりも大切にしたいものです。
先日の地元での初めての展示会では、いくつかの懐かしい出会いがありました。
高校まで一緒だった同級生。私達が子供だった頃は、年頃の特有の恥ずかしさもあり、異性と言葉を交わすことはあまり無かったように思います。なので、あんなにゆっくりと話しをしたのはもしかしたら初めてかもしれません。友達の近況や、すっかり変わってしまった故郷のことを、懐かしい言葉で話しました。
東京で活躍しているという同級生のお母さん。高校の時水泳部だった彼とは、大学2年の夏休み、帰省していた時に地元のプールへ一緒に通いました。
そして、中学1年生のときから高校1年生までの4年間、兄と2人で家庭教師をして頂いた方とも約27年ぶりに再会しました。
当時の私は、今思い返してもお世辞にも勉強が出来るとはいえず、飽きっぽい性格とめんどくさがり屋の性格が合わさって、何に対しても中途半端で短絡的な子供でした。
2歳年上の兄が勉強を見て頂いていたので、ついでに私も、ということになり、週2日、英語と数学を見て頂くことになりました。教科書を中心に、丁寧に教えて頂いた甲斐があり、その頃から、少しずつ“解る楽しさ”に触れることができるようになったと思います。そして、いろいろなところへ寄り道をしながら、今日に至るわけです。大げさに、なおかつ、かなり大胆に省略して言えば、勉強をして、大学へ行って、家内と出会い、今日のような生活をする土台を築いていただいた、といっても過言ではないかもしれません。
その方が、今回、玄関椅子をご注文下さいました。
ご自身で経営しておられるグループホームの玄関で使用されるとのこと。今までお使いになっていたものは、小さなアームがついたタイプのもので、当初はつかまったりするのに便利ではないかと考えておられたのですが、実際にお年寄りがお使いになると、何かのはずみでそのアームの部分に腰掛けることになったりして、かえって危険なことが多く、困っておられたとのこと。
今回の展示会でご覧頂いた玄関椅子の、座板の長さと奥行きを大きくし、オイル仕上げでお作りすることになりました。座板を長くしたことで、お年寄りのご夫婦に仲良く隣り合ってお座り頂くことも出来るようになりました。
樹種は、ナラで、木目が詰まった素直な材です。長く使い込んでいくことで、ツヤも上がり、きっと味わい深いものになると思います。ありがとうございました。
今回、いくつかの懐かしい出会いに恵まれ、改めて気がついたことがあります。
それは、私達は、今を“点”で生きているのではなく、過去から現在、そして未来へと続く“線”の上を生きているということです。今を生きる世界中の人達の70億の線の交わりが“出会い”ということになるのでしょうか…(Hi)